2000年頃に存在した部落差別の例

2020-08-18 差別

目次

はじめに

私は1990年に兵庫県で生まれた30歳です. 地元の町内には,かつて部落だった地区がありました. 小中学校の同和教育で,部落について知る機会もありました. とはいえ,私が小学生の頃(1996年以降)には,特に経済格差等が意識されることはなく, 身近に部落差別を感じることはありませんでした. 同和教育の教材も,1980年代以前の就職差別,結婚差別の話題が主だったと記憶しています. 同世代であれば,「部落差別は基本的には過去の話・歴史である」という認識を持っていただろうと思います.

しかし,後に,当時の私もリアルタイムで部落差別を経験していたことを知りました. それについて書こうと思います. 地名等は伏せるので,記録というよりは,お話として読んで頂ければと思います.

部落差別の例

出身地域について

まず,私の出身地域について簡単に記載します.地名・方角は変更しています. 私の出身地域(七草町)は,兵庫県の農村です. 七草町には,「萩」「尾花」「撫子」等の住所(大字)があります. 撫子には,「撫子東」「撫子西」という2つの地区があります. このうち,撫子西がかつての部落でした. 撫子東は部落ではなく,撫子地区の「本村」と呼ばれています. おそらく,本村付のえた村だったと思われます.

七草町の住所・地区を単純化した図

地域スポーツ大会のチーム分け

七草町では,小学生は地域会のスポーツ大会(男:ソフトボール,女:バレーボール)に参加します. 小学生にとっては重要なイベントで,大会に向けて,毎週末練習していました.

かつては,一つの地区に一つのチームがありました. しかし,私が小学生の頃には少子化が進行したため,複数の地区で合同チームを作っていました. 合同チームは下の画像のようになりました.

チーム分けの図

つまり,

  • 撫子東は撫子西以外の地区と合同チームを作った.
  • 撫子西は他の地区と合同チームを作らなかった.
  • 撫子西のチームは人数が極端に少なかった.全学年を合わせて,ソフトボールのチームを構成できる最低限の人数だった.

という状況でした.いわば,鳥取県が合併相手として,島根県ではなく兵庫県を選んだような,不自然なチーム分けでした.

私は,高校生になってから,この状況は部落差別の名残だったのかもしれないと気付きました. 地域の方に話を聞いたところ,やはり,「撫子東 + 撫子西」の合同チームを作る案があったものの,撫子東の地域住民から反対意見があったということがわかりました.

その後

2005年頃には,更に少子化が進み,七草町全体で一つのチームに合併し,町外のチームと試合をするようになりました. これにより,チーム分けにおける部落の名残は消えました.

部落差別はどう残るか

部落の影響が残りやすいのは,都市部よりも,人の入れ替わりの少ない地方だろうと思います. また,ひょっとすると,今回の例のように,「明らかな差別とは言えない形で」「こっそりと」地域社会に残っているのかもしれません. 部落差別の解消のためには,地方と都市部では,異なる戦略が必要なのではないかと思います.

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