[9月入学] 社会への影響は“予測できない“

2020-04-30 教育 コロナ

9月入学案が検討されている

コロナで学校教育が一部ストップしています. 学校の入学を4月から9月へ変更することで,カリキュラムの遅れへ対応する案があります.

↓小池知事,吉村知事のコメント

東京都 小池知事: 私は、長年、9月論者の一人。こうした機会を捉えて、教育システム、すなわち、それは社会全体のシステム、これを変えていくきっかけにしていく。これを来年にしますでは、モメンタム(勢い)はなくす。

大阪府 吉村知事: 学力格差を解消するという、コロナとの関係では、 こういうのは、非常に有効な手段だと思う。日本の未来、若者の将来というのを考えたときにも、 やはり9月入学は、僕は実現するべきだと思う。

これについては,私も以前,記事 を書きました. 賛成・反対の意見をごく簡単にまとめます.

  • 賛成:教育を犠牲にしてはいけない.地域による学力格差を防ぐべきだ.また,これを機に,欧米・中国の school year と合致するため,留学がしやすくなる.
  • 反対:入試,就活,学費など,社会的に様々な課題に対応が必要で,コストが高い.間に合わない.

日本社会の根底が覆る危うさ

私は,反対意見が現実的だと思っています. 私達は,普段,「子供も大人も,学校も企業も,一年は4月に始まり,3月に終わる」ということを無意識の前提にして生活しています. この大前提,社会の根底を覆すことは,単に「膨大な対応コストがかかる」ことだけを意味しません. 私達は,「その影響を事前に網羅的に把握することが事実上不可能である」 という認識を持つべきです.

社会は複雑系です. 社会で発生する様々な出来事には, 因果がはっきりとわかるものと, 因果がさっぱりわからないものの両方が存在します. 現在の日本社会の成立過程には,「人間が目的を持って設計した」(能動的・計画的)側面と, 「結果として発生した出来事に,日本人が適応してきた」(受動的・偶発的)側面の両面があります. この受動的・偶発的側面があることを忘れてはいけません. 社会は,「なぜだか知らないが,こうすると上手く行く」という経験が蓄積した結果でもあるのです. 社会の根底にある変数を操作した場合,結果としてどこに影響するかなんて,誰にも予想がつかないと考えるべきです.

ちなみに,日本の4月入学制は明治19年から始まったそうです. 近代・現代日本の社会制度は,ほとんど(期間で言えば150年中130年)が4月入学制を前提として構築されたものだといえます.

明治維新で西洋の教育が導入されると、高等教育では9月入学が主流となりました。

しかし、明治19年(1886年)に国の会計年度が4月-3月になると、文部省(当時)の指示で、高等師範学校は4月入学となりました。その理由は、学校運営に必要なお金を政府から調達するためには、国の会計年度の始まりである4月に合わせないと不便だからと言われています。

合理的な意思決定自体が困難

「9月入学制にどのようなリスクがあるのか」という問いを考えます. この問いに対し,部分的な答えを出すことは比較的簡単です. 例えば,「新卒労働力供給が半年遅れることで,企業の人材戦略に影響するだろう」という予測は可能です. 一方で,重要なのは,「リスクにはAとBとCがあって,それ以外に大きなリスクはない」と言い切れる人はいないということです. 9月入学のリスクに備えて対策Aと対策Bと対策Cを用意しても,それで大きな問題が起きないとは誰にもわからないのです.

つまり,9月入学制のぜひを議論しようとしても,4月入学制と9月入学制のメリット・デメリットをリストアップして,比較すること自体が困難です. なぜなら,そもそも9月入学制のデメリットは,十分には把握できないからです. 仮に無限大の時間を費やして議論しても,明確な結論にはたどり着けないと考えるべきです.

保守的に考える

このような問題には,基本的に保守的なアプローチを取るべきです. つまり,何が起こるかわからない対策(9月入学制)を取るのではなく, 何が起こるかがある程度確実に見通せる対策を取るべきです. 具体的には,入学・卒業のタイミングは変更せず,一部の教育カリキュラムを諦めるべきです. 替わりに,そのカリキュラムについては,映像授業等で各生徒が学習できるように,環境を整えるべきです (詳細は前回の記事の最後に書きました). リスクを把握し,プランBやプランCを用意した上で現実的な対策を取るべきだと考えます.

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